性別:(無回答)

性別違和を患った、右寄り若人の戯言。

リア充爆発しろ!という心情

無駄にキャッチーなタイトルをつけてしまった。

 

リア充とは、リアルが充実している人間を指す。

自分はこうしてネットに長ったらしい文章を書き捨てているが、他人の文章を読むのは得意ではない。本も漫画もあまり読めない。映画もアニメも、集中力や興味が続かなくてあまり見られない。

一方で好きなのは、食べること、飲むこと、歩くこと、電車や船に乗ること、あとはゲームとかだ。

 

おお素晴らしい。ゲームはちょっと分からないけど、それ以外は十分に現実世界を堪能しているではないか。自分も立派なリア充だ。ああ、爆破されちゃう。

 

そんなことを語りたいのではない。

最も広範的な意味でのリア充は、大抵恋人を有する者を指す。自分は街を往くカップル達を見ると、少なからずマイナスの感情が沸き起こるのだ。

自身の状況に関係なく、今も昔も、見ているだけで煩わしい…ことが多い。必ずしも全てに対してそう思うわけではないのだが。

でも一体、彼らのどのような要素が自分をこんなにも不快にさせているのか、色々と考えてみたくもなる。最終的にこの話はジェンダーの話題に行き着いてしまうので、苦手な方は今のうちに帰ってくださいね。

 

よく言われる傾向:嫉妬心

まず「リア充爆発しろ!」というワード自体、持たざる者が持つ者へ嫉妬したことから生まれたという説が有力だ。

かつては自分もそうなのかなと思っていた。正直恋人が欲しいなどという気持ちはなかったが、きっと脳味噌の奥底が、本能的な意味でつがいを欲した結果それが嫉妬心となって現れたのではないか。結局自分だって本能に踊らされる動物か。ああつまんねえ。

だが、色々と引っ掛かる点はあった。リア充リア充でも、同性愛ものの作品は好き好んで見ていた。異性同士でも、男性がヤワな感じだったり、女性が格好よかったり、2人とも年老いていたり、そのような場合はむしろ柔らかな目で見られた。一方で現在になってもやはり、見ていて不快なやつらは不快なままなのだ。

 

あー何か、分かった気がする…

これはきっと、大多数の皆様には分かってもらえない気持ちだ…

 

コントラストが眩しいのだ。

カップルが形成される際、多くの場合において「モテ」という概念が有利に働くが、モテる、あるいは恋人ウケするために必要とされる要素は、人格面の基本的な部分はさておき、全ての人間にとって同じであるとは言い難い。

考えてみてほしい。モテる、あるいは恋人ウケする服装ってどんなもの?顔つきは?仕草は?会話内容は?

…そう、皮肉にも男女でパッカリと別れるだろう。

街を往く多くのカップルは、「相手に自分のことをもっと良く思ってほしい」、そう想った結果として特有のムードを双方から作り出し、そこにはジェンダー観の具現化とも言える光景が浮かび上がるのだ。

男は男、女は女、二極化された世界。以前の記事でも同じようなことを言ってしまったが、自分にとってそれを見せつけられることは実に息苦しいのだ。

 

ここまで言ったが、少なくとも自分に街を往くカップル達を非難する意図はないし、権利もない。彼らはただそうしたいからしているだけで、自分はそれを見て勝手に憂鬱になっているだけだ。

そして思った、結局自分は別の意味で嫉妬しているのではないかと。

男"らしく"生きられる男が羨ましい。女"らしく"生きられる女が羨ましい。

 

世間が自分みたいな人間にいくら寛容になろうと、この心の穴を埋めることはできない。

それは、出生時の性別を受け入れて生きられる人間が多数派である限り。