性別:(無回答)

性別違和を患った、右寄り若人の戯言。

「統計」の横暴

研究にも商売にも、何にだって統計は必要だ。

統計は非常に便利だ。然るべき検定をかけて有意な傾向があると分かれば、その傾向に従って動こうとするのだ。そうする方が、格段に効率が良いから。

しかし、統計は必要十分条件を語れるものではない。絶対的な法則を導くことはできない。

例えば、1+1は2だし、2の10乗は1024だし、ゴム板はツルツルの板より摩擦係数が高いし、シアン化カリウムを盛れば人は死ぬ。これらは紛れもない事実だ。

 

 

しかし、こっちならどうだろう。

日本人は几帳面。京都人は排他的。なにわナンバーは怖い。年寄りはがめつい。自分の子供は可愛い。男性はプライドが高い。等々。

これらはあくまで統計的に有意に見られる傾向に過ぎず…いや、もはや単なるヒューリスティクスに過ぎないものもありそうだが、少なくとも100%正しい事実であると言うことは決してできない。

これらが絶対的な真実であろうものなら、家の中が散らかり放題の日本人なんてどこにもいないだろうし、京都出身の人間は皆揃ってよそ者をバカにするだろうし、なにわナンバーの地域では事故で毎日100人以上死ぬだろうし、祖父母を大切に思う若者は絶滅するだろうし、幼児虐待なんて起こらないし、モノが付いて生まれた人間は絶対に気弱にはならないことになる。

 

別にこの記事において、個人が頭の中に持つ統計値や経験則を貶めたいわけではない。

ただ、統計的に傾向を導くにあたって、切り落とされるサンプルは必ず存在する。

考えてみてほしい。自分自身が、統計から外れたサンプルになったことはないか?

年齢出身地学歴その他諸々を理由に、勝手な推測をされて「違うのに…」と思ったことはないか?

 

高3だからという理由で、家に予備校のDMが大量に届く…学校の勉強だけでいいのに。

地方出身だからという理由で、都会出身者から哀れみの目を向けられる…田舎が悪いなんてちっとも思っていないのに。

大卒ではないという理由で、頭が悪いという扱いを受ける…そこらの遊んでる大学生よりよっぽど専門分野を極めているのに。

戸籍が女性だからという理由で、あらゆる場所で余分にピンク色の冊子を渡される…何だか余計なお世話だ。

独身だからという理由で、「あなたのどこがいけないのか分からない、十分結婚できるのに」みたいな世話を焼かれる…いやいや望んで独身でいるというのに。

 

人間をカテゴリー分けすることは、確かに相手をある程度推測するのには便利かもしれないが、残念ながらこの世に同じ人間は一人としていない。一人一人違う脳味噌を持っている。

行き過ぎた先入観で相手のことを勘違いしてしまう前に、人間一人一人の個性に着目すべきではないだろうか。

政策やマーケティングともなると、数が多過ぎて残念ながらそのようなことは言っていられないが、せめて個人を相手に接するとき、先入観で相手を決めつける、或いは縛り上げるような事態はあるべきでないと感じる。

 

人はみんな違う…それが、多様性のはず。(次回の記事へ続く)