性別:(無回答)

性別違和を患った、右寄り若人の戯言。

当ブログの趣旨

記事の出だし。

大抵は、「こんにちは、〇〇です」みたいに始めるのだろうか。

このブログでのハンドルネーム…まだ決めてないし、決めたい気持ちもないし、とりあえず今は名無しでいいや。

さて、このような哀れなブログを訪問してくださった方に、色々と説明したいことがございます。まだ駆け出しですので、色々と自己紹介を。

 

(2019/3/29追記 旧タイトルの話です)

タイトル「GD患いしの戯言」、分かりづらく引っくるめてしまっていますが、これこそ当ブログの一番の趣旨です。

 

 

GDはGender Dysphoriaの頭文字、日本語でいうと「性別違和」となります。

正直、性別違和よりは「性同一性障害」という言葉の方が世間一般には浸透している気がします。両者は似たような概念ではありますが、自己流の解釈で違いを説明しますと

  • 性同一性障害:自分の心が、出生時の性別とは逆の性別であると自認している(心のどこかで信じている)。身体や戸籍を自認する性のものへ変更することを強く望む。性別適合手術に至るケースも多い症状。心の障害である
  • 性別違和:自分の心が、出生時の性別と一致する性別であるとは思えない。自分を出生時の性別で括られることに、違和感や嫌悪感を覚える。障害というニュアンスは伴わない

だと思っています。近頃では、前者に相当するケースでも「障害」という名称は良くないという意見があり、後者の呼び方に統合する流れがありますね。

 

自分はこの2つのうち後者、性別違和に相当します。

自分のことを出生時の性別でラベリングされるのが嫌で、気持ち悪くて。でも、もう一方の性の体になりたいという気持ちまでには至らなくて。

この気持ちは後々の記事で、鬱陶しいほど詳しく語っていくことになると思います。

 

そしてもう一つ、というのは、右翼とか左翼でいう右のことです。

自分はどちらかといえば資本主義万歳で、人権擁護派の意見には日々うんざりしています。

ですが、自身の性別違和に気づかせてくれた記事や書籍…それらの関係者は、面白いほどに、悲しいほどに、左寄りの思想を持つ方ばかりなのです。

性に寛容になろうと言っているうちは良いのですが、もう少しその人たちのことを探ってみれば、「アベ政治許さない」「9条LOVE」「外国人welcome」等々、そんなのばかり。

一方で右寄りの方々は、「夫婦別姓反対」「同性婚反対」「LGBTは生産性がない」…

何だか、自分の心の味方なんて何処にもいないのではないかという気持ちになりそうでした。

 

つまりこのブログは、一匹狼と化した自分が、持論をポコポコと書き捨てていく自己満足フィールドとなることが大いに予想されます。

それでも目を通してくださる方がこの世にもし存在するのなら、心より感謝いたします。